古典派までは、パトロン(お金を出して応援する人)の要求を満たす型にはまった曲作りが盛んでしたが、自ら収益化の方法を見出した作曲家はロマン派になると自由に音楽を作るようになります。
ロマン派は、そんな型にはまらない多くの独創的な作曲家が誕生した時代です。
そして技術力の高い演奏家が生まれ、過去の名作が発掘されて演奏会が開かれるようになり、作曲家にはいつしか後世に残る名作を作りたいという想いが芽生えていきます。
今回はそんなロマン派の音楽についてみていきましょう^-^ノ
ロマン派とは
西洋音楽史でのロマン派とは19世紀から20世紀(1800~1900年)までの間を指します。
ロマン派になると音楽の市民化はさらに加速され、これまで貴族や教会のためだった音楽を市民たちが劇場や演奏会に通うことはもちろん、自宅にピアノを購入して音楽を習うことも容易にできるようになりました。
これまでの作曲家といえばパトロンの趣味に左右される音楽を作らされていたのが、古典派の時代からは自らの音楽を自由に作って莫大な収益を上げられるようになってきています。
ロマン派とは、そんな自由を開放された作曲家たちがそれぞれに多様性に溢れる音楽を生み出す時代なのです。
ロマン派のできごと
時代 | 出来事や時代背景 |
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19世紀 ~ 20世紀 |
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ロマン派に活躍した有名な音楽家
有名な音楽家 |
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音楽学校が続々と建設される
ロマン派に入ると、音楽学校が続々と建設されるようになりました。
18世紀までの音楽学習スタイルは、今で言う器楽学科はなく作曲科のみで、作曲は自らの独奏作品を演奏するために楽器もついでに習うというものでした。
一方でロマン派の音楽学校では、作曲科や器楽学科などの専攻制度があり、演奏家の教育に特化した教室がはじまります。
演奏専門の演奏家が誕生
古典派までは自分で作った作品は自分で演奏しなければならなかったので、作曲家が独奏作品を発表するためには自らの演奏技量を上げる必要がありました。
音楽教育でも教科の内容は作曲だったため、曲を作らずに他の人の書いた曲だけを専門に演奏するという人はあまりいなかったのです。
ところが音楽学校に器楽学科が誕生することによって、作曲は行わずに他人の曲を専門に演奏する現在のような演奏家が続々と現れるようになります。
使い捨てだった曲が評価・演奏されて永続的な曲になる
18世紀までの音楽といえば、パトロンの要求に応え、献上品としてたった1回上演されるためだけに書かれ使い捨てにされていた曲が多くありました。
それが19世紀になると、音楽の評論家が現れて価値のある名作を発掘し、音楽教育へ活用されることで後世に残っていくことになります。
今作られた曲ではなく半世紀以上も前の曲を掘り起こして演奏会を開く、というのも評論家の登場や他人の曲を演奏する専門の演奏家が現れたロマン派だからこそ成し得た出来事かもしれません。
対位法が評価される
古典派の時代、既に作曲は和声法をつかうことが主流になっていた時代にバッハは対位法を駆使した曲を作り続けていて、当時は「古臭くてつまらないもの」と評価されていました。
それが、ロマン派になって100年ぶりにメンデルスゾーンによってバッハの作品「マタイ受難曲」が演奏されるとその対位法の技巧が改めて評価されるようになります。
作品を簡単に公開できない葛藤の時代
過去の名作を扱った演奏会が増えると、ロマン派の作曲家が作った曲と、過去の名作が演奏会で並べて演奏される機会が増えてきます。
作曲家にとっては、過去の偉大なベートーベンやバッハの作品と自分の作品が比べられる機会でもあるので、大きなプレッシャーとなってきます。
過去の偉大な作品に負けないような曲を作らなければという想いから、多くの曲を破棄する作曲家が現れるのもロマン派の特徴です。
なので、もしかするとまだ見つかっていないロマン派の曲がこれから発掘される可能性もあると考えるとちょっとわくわくしますね(?)
ドイツでは堅い音楽、フランスやイタリアでは気軽な音楽
ドイツでは古典派以前、フランスやイタリアに比べてあまり音楽的に秀でた歴史がなかった反動で、古典派後期からロマン派にかけて、ソナタ、交響曲、弦楽四重奏のような芸術音楽として歴史にこのる堅い音楽作りが盛んでした。
特にフランスでは、後に娯楽のための気軽な音楽作りに興味を示す作曲家が多く現れるようになります。
第一次世界大戦後の音楽
第一時世界大戦後は、これまで活動していた多くの作曲家が衰退し、代わりに新しい時代の作曲家が登場します。
この音楽時代の変わり目を代表する音楽家が、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、ヒンデミット、ミヨー、プーンランクです。
彼らによってロマン派の音楽はより新しいものへと作り変えられていくことになります。そんな1920年代の作品の特徴は、機械的なリズムを刻む音楽であったり、残響のない乾いた響きの音楽です。
アメリカ文化の影響を受ける
ロマン派も終わりに近づくと、西洋にもアメリカから多くの文化が入ってきて影響を受けはじめます。
特に、アメリカのジャズや酒場のBGM、アメリカンダンスの文化は西洋音楽にも大きな影響を与え始める時代となりました。
演奏スタイルの変化
19世紀までの音楽といえば、残響はこれでもかとばかりに加え、ゆったりとしたテンポで、自由にルバート(揺らす)させていました。
それが1920年代を堺に、残響は薄くなり、テンポもほとんど揺らさずに、速い技巧的な技術を誇示する演奏スタイルが流行りだします。
大衆文化向けの音楽(ポピュラー音楽)が登場
この頃から大衆文化(ポップカルチャー)向けの音楽としてポピュラー音楽という言葉が登場し始める。
つまり、これまでのハイカルチャーな文化(音楽に一定の教養のある人が高いチケットを購入して聴きに行く演奏会のようなもの)ではなく、酒場でのBGMやテレビ、ラジオ、ダンスなどで使用するための、音楽鑑賞について多くの知識を求めないで楽しめる音楽を次第にポピュラー音楽(大衆文化向けの音楽)と呼ぶようになりました。
クラシック音楽とは
そして、クラシック音楽という言葉ができたのはさらにずっと後のことです。
これまで中世〜バロック前期までの西洋音楽を「古楽」と呼んできたのに対し、バロック後期から音楽様式が一風変わりました。
西洋音楽史でのクラシック音楽とは、そんなバロック後期からロマン派までの間に作られた西洋音楽のことを指しています。
現代音楽の時代
現代音楽というと何やら受け入れがたい難しいイメージを持っている方がたくさんいますが、実は20世紀中頃以降に作られた大衆文化用ではない芸術音楽のことを現代音楽と呼びます。
今日では多くのジャンルが様々登場していますが、その全ては現代音楽(芸術音楽)とポピュラー音楽(大衆文化の音楽)という2つの大きなジャンルの中で成長を続けていきます。
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現代音楽が大衆にとって理解がしずらいというのは、芸術音楽とはそもそも大衆文化を楽しませるために書かれているものではないという点にあります。
現代音楽も多様化しているので一言で語ることができるものではないのですが、その大元にあるのは、どこかロマン派時代の技術の誇示や歴史に残せる技巧の開拓を追い求めている姿に似ているようにも思えます。
西洋音楽史のまとめ
今回まで5回に渡って中世から現代までの西洋音楽の歴史を紹介してきました。
今日になって当たり前のように使われている楽器の原型が500年以上も前に存在していたり、皆さんが今日練習に使っているピアノの練習曲や作曲の教本は、この長い歴史の中でつい100年程前に書かれたものであることに歴史の不思議を感じるかもしれません。
歴史というのは、なかなかこの短い記事の中で全てをお伝えするというのは難しいもので、もっと多く書きたい部分もあったのですがあまり複雑化しても全体像が見えづらくなってしまうこともあり西洋音楽史の見出し(もくじ)のような構成に止めておきました。
もしこのもくじを見て気になった歴史や作曲家、曲などがあれば、もくじからページを開くように皆さんで世界中にある素晴らしい文献を開いたり、是非素晴らしい演奏会へ足を運んでみてくださいね^-^ノ